とんだ+形容詞はまちがひか? 夏木広介『こんな国語辞典は使えない』のインチキ

 けふ図書館へ行って国語辞書の棚を見たら、夏木広介『こんな国語辞典は使えない』洋泉社といふ本が目についた。絶版の小学館日本語新辞典を目当てに、きのふ中央図書館へ行ったら、西山里見『講談社『類語大辞典』の研究 ――辞書がこんなに杜撰でいいかしら』洋泉社といふ刺戟的な題名の本を見つけ、めくってみて、まあどうでもいいやと戾した、それを思ひだしてちょっと読んでみた。
 この本では岩波国語辞典(以下「岩国」)広辞苑など五册の辞書を槍玉にあげてゐた。たとへば「第1章 まずは易しい例から」の冒頭16頁を見ると、岩国における連体詞「とんだ」の説明を糺弾してゐる。

〔連体〕意外で大変な。「これは―ところへ来た」。また、取返しのつかない。「―事をしてくれた」▽飛び離れたの意から。なお「けさは―寒い」のように副詞的に使うこともある。「とんでもない」といつも言いかえられるわけではない。(註。これは岩波国語辞典第六版からの引用。)

「―」の部分が「とんだ」である。これをこのまま「―」で読んでいると見過ごしてしまうのだが、「―」を「とんだ」と読み替えると、最初の二つは良いのだが、最後の用例は、何と「けさはとんだ寒い」となってしまう。これは全く通じない。
 これは次のように理解出来る。
〈なお「けさはとんでもなく寒い」のように副詞的に使うこともある。しかし、「とんだ」が「とんでもない」といつも言い替えられる訳ではない。〉

 同書の説明をこのように理解する事には飛躍があるが、そうとしか解釈が出来ない。それに、ここに唐突に「とんでもない」が出て来る事自体、おかしいのである。
 どうしてこのようになったのかは分からないが、恐らくは、項目「とんでもない」と混同があったのだろう。しかし説明が目茶苦茶である事はどうにも言い逃れが出来ない。

 私は手元の岩国第八版を見てみたが、「けさはとんだ寒い」といふ用例はまだあった。
 本当に「けさはとんだ寒い」はまちがひなのだらうか。
 たしかにコーパスのNINJAL-LWP for TWCトップ ┃ NINJAL-LWP for TWC (NLT)で「とんだ」を調べると、ほとんどが「とんだ勘違い」「とんだ災難」「とんだとばっちり」など〈とんだ+名詞〉のかたちだった。わづかながら〈とんだ+形容詞〉の用例もあったが、いづれも「とんだおめでたい人だ」「とんだ悪いことをした」と名詞句になってゐる。さきの「けさはとんだ寒い」のやうに、直接形容詞にかかった用例はなかった。
 ここまでの情報を見ると、やはり夏木のいふ通りなのだと思ふかもしれない。
 しかしさうではないのである。

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[2] 〘副〙 思いがけないという気持を込めながら、下の記述を強調することば。たいへんに。ひどく。
※洒落本・遊子方言(1770)更の体「色男どふだ。とんださへないじゃないか」
※洒落本・猫謝羅子(1799)「おかめさんとんださむいねエ」

 精選版日本国語大辞典を引いてみると、ちゃんと「おかめさんとんださむいねエ」と書いてあるではないか。しかも江戸時代の用例である。
 つまり《恐らくは、項目「とんでもない」と混同があったのだろう。しかし説明が目茶苦茶である事はどうにも言い逃れが出来ない。》といふ文はまったくのインチキであり、夏木の指摘はとんだ言ひがかりなのである。
 私はやっぱり、まあどうでもいいやと戾したのだった。

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【追記 2022年2月8日】
 「とんだ」における〈とんだ+形容詞〉の副詞的用法が現代的ではないといふ指摘はその通りである。だから岩国以外のほかの小型辞書にはとんだの副詞的用法が載ってゐない。しかし岩国第七版の序文に書かれてゐる通り、

収録語の原則的範囲について、現今の感じで古くさくなっていても、明治二十年ごろ以降で昭和中期まで普通に使われたものは、採用する方針を再確認した。

といふのが岩国の方針である以上、とんだの副詞的用法を載録する岩国はなにもまちがってゐないのである。