漢字でむかつくふたり

 評判がいいやうなので新潮日本語漢字辞典を購入したきのふ、思ひ出したことがあった。
 以前にくらべ私は漢字に大きな関心を払ってゐない。他方、友人のKは「釁キン/ちぬる」「靉靆アイタイ」といった通用しない、やたらむつかしい漢字を使ひたがる。これは小谷野敦が指摘したやうに、性質として小林秀雄吉本隆明のこけおどしと同様だから、ハッタリだと忠告したが恰好いいからと言って譲らなかった。さういった読めない漢字をわざわざ『字通』平凡社から探してくるのである。趣向がわるいと思ふ。
 その字通は高校の頃、どの漢字辞典がいいのか若手国語教師に相談して購入したといふ。私も白川静の『常用字解[第二版]平凡社を持ってゐるが、白川の字源説には問題があり、その教師は知らずにインターネットで調べたまま辞書をすすめたとKは言ってゐた。しかしKは字通を読んでも何をいってるのかちんぷんかんぷんだったさうである。
 いづれ漢検一級を取りたいと胸を張ってゐたので、高島俊男漢検批判(『お言葉ですが…〈別巻3〉漢字検定のアホらしさ』連合出版を持ちだして漢検の問題は駄目だとさとすと、いやさうなんだけど受けないのは悔しいぢゃないかと返した。
 しかしあくまで旧字を除いた範囲にだけ興味があるのがKである。だからかれは旧字にうとい。高校の頃、「凾」は函の旧字だと教へてき、ふうんと思ったが、辞書で調べると別体だとわかったので指摘したら、おれは旧字に興味がないんだよと居直った。その時はむかついたものである。
 また「朝夕」を私があさゆふと読んだら、友人Mにチョウセキだろと指摘され、それにKが同意したことがあった。この時も辞書で調べたらチョウセキのほかにチョウジャク、あさゆふといふ読みがあったのでいやな気持になった。
 それいらい居直られると面倒なのでKには漢字の話題で慎重に接しようと思って、しかしひさびさに会ふとたのしい会話に身を任せてそれを忘れてゐる。