読んでもよくわからない本のはなし2

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は高校の時に文藝部の部長がすすめてゐて、読んだら泣いたと言ってゐた。当時文藝部には村上春樹好きがふたりゐた。『海辺のカフカ』の話をすると、あれはちょっと……とあからさまに言葉をにごして、ははあ性的描写のことだなと容易に見当がついた。私も頁をめくったら射精描写があってぎょっとしたことがあった。(ちなみに私はずっとカイヘンのカフカだと思ってゐた。安岡章太郎の影響だらうか。)
 ブックオフで買ってきた、装訂が司修の『世界の終り~』新潮文庫を海外に行ったをりに読まうとしたが、井上ひさしの『偽原始人』新潮文庫はおもしろくてすぐ読み終へたのに、世界の終りはとんと進まず、冗漫に感じられて挫折した。退屈で、一文一文を繰返し眺めてしまひ、遅々として進まないのだった。
 海外から帰ってきたあと数ヶ月経って、たしか大晦日にやうやく私は読み終へたものの、結末への大きな期待には応へられなかった。博士に会ひに地下に行ったり壁の街から脱出したり、これはファンタジーな冒険小説で純文学とは思へなかった。
 小谷野敦はかう書いてゐる。

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高齢、中堅に与えられる傾向があった谷崎賞が、アメリカ的作風の新進村上春樹に与えられ、ある衝撃を与えた。円地は病気欠席、村上を推しているのは丸谷、丹羽と遠藤は反対しており、吉行もやや反対、大江は三浦を推しており、なぜ受賞したのか不思議なくらいの選評である。このことで中上はさらに気を悪くし、丸谷を恨んだはずだが、「御霊」となって祟らなかったようだ。

 文壇における丸谷の影響力が強大だったといふ噂はまんざら嘘ではないのかもしれない。丸谷は谷崎賞の祝辞で相変らず自然主義私小説にこだはって《この長篇小説は現代日本小説の約束事にそむいてゐます。》《考へてみれば、谷崎潤一郎もまた、エレベーターらしくないエレベーターをたくさん作つたエレベーター職人であつたかもしれません。》と言ってゐる(『合本 挨拶はたいへんだ』朝日文庫。私はむかし丸谷のファンだったが、小谷野の本を読んでからだんだんと冷めていった。

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 私が『反=文藝評論』に載せ、『村上春樹スタディーズ05』にも再録された村上春樹批判の評論中に、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる「太った美人の少女」の、やたらと主人公にセックスを迫る描写の引用がある。果して英語版でもここはそのまま訳してあるのか、と今日駒場の図書館でアルフレッド・バーンバウムの英訳を見てきた。「31」で女が、「ねえ、精液を呑んでほしくない?」と言うところは訳してあったが、その後、もう一度女が「精液呑んでほしくない?」と言い、「あたしじゃあ興奮しない?」かなんか言って、主人公が、興奮している、勃起しているから、と言って見せる部分は、カットされていた。そりゃあ、そうだろう。こんなところまで訳したら、村上春樹はポルノ作家だと思われるよ。思わない日本の読者が、あまりに変。

 世界中で村上春樹が読まれる時、人々は、川端や、ゲイシャ・ガールや『将軍』や『君よ憤怒の河を渉れ』のイメージに引きずられており、日本の女はこんな風に積極的にセックスを迫るものなのだと思って読んでいる者は確実に少なからずいる。日本人が気づいていないだけだ。
 しかし最近思うのは、この「太った少女」は、精神を病んでおり、一種の色情狂(ニンフォマニア)なのだろうということで、春樹作品にしばしば現れる、むやみとフェラチオをしたがる女たちは、恐らく春樹自身がどこかで知った、そういう女を原型としているのだろう、ということである。

 小谷野によると、世界の終りにある性的描写は英訳するにあたって一部けづられたといふ。私は海外へ行ったをり、世界の終りの中国語の翻訳を見つけて買ってきた。中国には文庫サイズの判型があまりなく、だいたいが単行本で、しかし値段は日本の単行本より安い。講談社村上春樹全作品に收めた世界の終りは英訳に際して手直ししたものだといふ。だから文庫と全作品とではところどころ違ってゐるが、この中国語版のものはなぜか手直しする前の文章を翻訳してゐて、文庫を参照したのだらう。
 私の知り合ひの三島由紀夫を訳した翻訳者は林少華の翻訳がよくないと不満げだったが、どこがどうよくないのかまでは聞かなかった。

(林少華訳『世界尽頭与冷酷仙境』上海訳文出版社。購入した本は新版以前のもので、このAmazonの書影とは異る。)