シン・ゴジラの感想が聞きたいと言はれたので

★★★☆☆3/5

 たしか押井守シン・ゴジラに対して、庵野がなにを伝へたいのかがわからない、伝へたい事がないといふやうな事を書いてゐた記憶があるので、図書館へ行って『やっぱり友だちはいらない。』徳間書店を見てみたら、インタヴューの冒頭で、走れメロスは友情の話ではないが太宰治はさう見せかけた手腕家なんだよだの、時代的な背景があってああいふ小説を書いたんぢゃないのだのみたいな事を言ってゐて、ああこの映画監督は、太宰が1937年の小栗孝則訳『新編シラー詩抄』にある、シラーの叙事詩「人質」をほぼそのまま散文にしたものがメロス(紀要論文 角田旅人「〈走れメロス〉材源考」http://id.nii.ac.jp/1731/00001628/だといふ事を知らないのだなと、創作者にありがちな無知にげんなりし、さういへばあの疑はしい白川静の字源説を採用する文化人のひとりだったなと思ひめぐらした(『白川静読本』平凡社。漢字学界ではもはや蓋然性の低い白川字源説は相当知識人のあひだで蔓延してをり、松岡正剛内田樹立花隆武田鉄矢、このあひだも『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション』(文春文庫)を読んだら冒頭で宮部が白川字源を引いてゐて落胆したし、TVを見たら開成小学校で小学一年生に白川字源説を教へてゐる様子が流れてきて、いま調べたら福井県教育委員会による白川字源説の小学校学習漢字解説本なんてのもある。それはともかく、なにを伝へたいのかわからないといふ事は結局押井は言ってをらず、その代り、庵野ゴジラに興味ないだろ、ずっとウルトラマンに興味があるんだよと言ってゐて、映画を見た後、たしかにさうかもなと思った。

シン・ゴジラ」については、やたらいろいろな人が語っている。私のように、怪獣映画は全部観てきたというような人間からすると「ニワカがあれこれ言いやがって」というのが本音なのだが、空気を読んでみなそういうことは言わずにいる。

「シン・ゴジラ」(庵野秀明)2017年8月 - jun-jun1965の日記

 小谷野敦のブログからの引用だが、その通りである。私もまたゴジラを初めて見たひとりなので、あれこれ言っても説得力に欠けるし、どうやらゴジラファンはこの作品に違和感を覚えるやうなのだがその理由もわからないニハカである。まあシン・ゴジラの感想が聞きたいと言はれたので仕方なく書く。
 普通のパニック映画だと思った。後半の作戦は見てゐて昂奮したが、退屈な政治描写の部分はあるし、もう一度見る気にはならない。通俗パニック映画にありがちな安っぽい家族愛や低俗さがなかっただけましだと思った。
 いまは直ったと思ふが、元もと私には子供の頃に、ラピュタのビームで海が爆発するシーンとかドラえもんの南海大冒険でリヴァイアサンが出てくるシーンとか、さういふ絶望的な場面で熱に浮かされて昂奮するといふ癖があった。昂奮によるおもしろさの錯覚といふことを私は考へてゐて、おもしろく感じたものが後あと冷静になってみると別におもしろくなかったりする事がある。振り返ってみるとたいていはその時、熱に浮かされて昂奮してゐて、分別がつかなくなってゐたことが多い。リョナやエロなども、どちらも冷静になってみると私にはおもしろくないが、昂奮するためにあるのだらうと思ふ。私は何事も理性的に判断されるべきだと考へてゐるので、熱に浮かされながらの評価はしたくない。
 さて、生物学的な見方をすればいくらでもゴジラのをかしい部分をあげることはできるのだが、架空の存在に真面目になっても豆腐にかすがい、空想科学読本みたいに論じること自体が冗談にしかならないので、それ以外のリアリティについて書く。
 政治の描写は通俗的で、日本は米国の属国だととんちんかんな事を言ったりして反米的であり、実際は憲法九条があるから日本は米国に守られるしかないので、そこまで政治的なリアリティは感じなかった。原爆を落したくないと言ふ場面もあったが、実際にあんな状況になったら米国だの原爆だの四の五の言ってられないだらう。ここは気になった。
 まあネトフリのDon't Look Upといふ通俗バカSF2時間映画よりはうまいと思った。