東大の見田宗介はいはゆる社会学者だとされてゐるが、富永健一ほど実證的なわけではなく、むしろ哲学的なので私は社会学者?だと思ってゐる。高校の頃、国語教科書に載ってゐた見田の評論を読んで、この人のことは記憶してゐた。
その見田が2022年4月に亡くなった時、比較文学者の秋草俊一郎氏がかういふツイートをした。
見田宗介。漫画家の息子の作品を読んでいた。
— Shun'ichiro AKIKUSA (@shun_akikusa) 2022年4月10日
私はおどろいて、へえー息子は漫画家なんだと思ってウィキペディアの記事*1を見たら、結構気になることが書いてあった。
幼少時、一年間メキシコで生活。自身の家庭を恵まれたものとは感じていなかった事を告白している。(傍線は筆者)
あいにく典拠がないので、ウィキペディアだけでは詳しいことはわからない。そこで本人のTwitterを調べたところ、なかなかおそろしいことが書いてあった。
対等だと思う
— 見田 竜介 (@ryusukemita) 2016年2月21日
どんな悲惨な環境で生まれた人も
僕も悲惨な家庭で生まれ育ったけれど
対等
と、思って自分を
その意識に近付けたいと
日々、多分死ぬまで
努力します
@ryusukemita ご家族も著名な御方ですが見田竜介先生も色々複雑な家庭環境だったのですね。
— デンスケ (@YAMAHA_YPJ) 2016年2月21日
@4423densuke
— 見田 竜介 (@ryusukemita) 2016年2月21日
僕は前妻の子です。
今の不倫再婚相手との、
父親の家庭は幸せなようです。
僕が独立して
雨漏りのする家で必死に
ドラゴンハーフを描いて生きていた頃、父親達は伊豆に別荘を持って悠々自適に暮らしていたとのことです
不公平を感じる事は多いけれどw
@ryusukemita そうでしたか、傍目には分からないものですね…見田家代々名士のお家柄で見田竜介先生も不自由の無い順風満帆な作家活動をされていただろうと読者視点で想像していました。見田竜介先生がお若い時分に荒れていた理由が分かりました。
— デンスケ (@YAMAHA_YPJ) 2016年2月21日
@4423densuke 実の父と母に苦しめられました…
— 見田 竜介 (@ryusukemita) 2016年2月21日
今も苦しんでいますけれど(>人<;)w
そこから、上手に離れて
親というしがらみを超えて
ただ
今、幸せな人生を送れるようにと
日々
もがいております*\(^o^)/*
@ryusukemita …それがどれ程に苦痛か想像もつきません。見田竜介先生は御自身の努力と才で巨大な親の威光を微塵も感じさせず見事に活躍されておりますが自分だったら立ち直れないかも。弟様の航介先生とは仲はよろしいのですか?
— デンスケ (@YAMAHA_YPJ) 2016年2月21日
@4423densuke こうすけ君とは仲良いかな? 多分ね
— 見田 竜介 (@ryusukemita) 2016年2月21日
距離は離れても
考え方は違っても、互いの幸せを願って居るように思います
(少なくても僕はね…☆)
@ryusukemita 親御さんはアレですが、兄弟が仲間だと心強いですね。でも本当に見田先生デビューした最初からから繊細で緻密というか凄い画力でしたよね。いつくらいの時期から絵描きを志されていたのでしょうか?
— デンスケ (@YAMAHA_YPJ) 2016年2月21日
特に《僕は前妻の子です。今の不倫再婚相手との、父親の家庭は幸せなようです。僕が独立して雨漏りのする家で必死にドラゴンハーフを描いて生きていた頃、父親達は伊豆に別荘を持って悠々自適に暮らしていたとのことです》の箇所を読むと、見田が不倫をして、息子のことをはふっておいたことがわかる。この一連のツイートを読んで、私は一気に見田宗介の人間性がいやになった。
それで「見田宗介の闇が……」とツイートしたら、ある人からコメントが返ってきて、どうやら見田竜介の成人漫画のほうを闇だと思ったらしく、とんちんかんな気がしたものだ。