個人的名作アイワナ3選

 即死ゲームのアイワナにも様ざまありますが、いままで遊んできたなかでおもしろかったものを3つあげてみます。私としてはどれもおすすめしたいといふやつです。

I wanna get thug life

制作者:えるなちゃん

erunatyan.hateblo.jp

 えるなちゃんが制作したアイワナのなかで道中を含んだものは、Oppaiとfestival、Classic、そしてこのget thug lifeの4つしかありません。(未公開のTippaiとPunPunを含めると6つぐらゐあります。)

 get thug lifeはアイワナ製作者コンテスト2の参加作品として3位になりましたが、えるなちゃんの作品のなかではマイナーです。ゲームを立ち上げてみるとPCに負荷がかかって重くなるので、それでやめてしまふ人が多いのかもしれません。実際、私のPCではかなり重くなって、しかたないのでしばらくほっといてゐました。
 しかるにある日thug lifeには軽量版があることを知り、さっそく遊んでみたところ、これがかなりおもしろかった。難易度は高いのですが、おもしろさが前へ前へ進めて、プレイスキルが上がっていくと実感するほどでした。罠がかなり多いんですが、パズルになってて頭をつかひます。空手健児がいいですね。天丼なんですが思はず笑ってしまふ。かういふマイナーな素材をよく見つけてきたものだと思ひます。おそらくMUGENからでせう。
 もう感心しまくりですね。とにかくゲームをつくるうへでも参考になる箇所があちこちにあります。アイワナの傑作です。
 ほかのえるなちゃんの作品では、針ゲのI Wanna Chatonがかなりよかったですね。ながすぎず、頭をつかふ針ゲでした。Marchenは結構ながい。Classicは有名なので割愛しますが(大長篇なのに制作期間が10ヶ月なのは恐ろしいほどですね)、Oppaiはあまり知られてゐないデビュー作といふことでおすすめします。

I wanna be the ねこ

制作者:げそから、ゆううつ

https://w.atwiki.jp/fuyuuutuly/pages/27.html

  いやあ、これをfatalbrainさんの動畫で見たときには、すごくおどろきました。


www.youtube.com

 発想のいちいちがすごい。実際にプレイしてみると、そのたのしいことたのしいこと。時間巻き戻しギミックはBraidといふゲームが元ネタで、「I Wanna Be The でてくてぃぶ」にもありますが(でてくてぃぶも隠れた名作です)、アイワナのなかではこれがはしりなのではないでせうか。とにかく頭をつかひます。
 発想がきてれつと言はれることの多いげそからさんですが、アイワナ界にはこれくらゐすっとんきょうな作品があった方がいいだらうと好意的に捉へてゐます。むしろすっとんきょうなのは見た目だけで、内面ではかなりむづかしいパズルを仕込んでるのですから狡猾ですらあります。その発想に敬意をあらはしたいほどです。

I wanna be the あびゃ~。

制作者:げそから
https://www.mediafire.com/rorona
 またげそからさんの作品です。
 実はあびゃ~。には3つの作品があります。「あびゃ~」と「あびゃ~2」「あびゃ~。」です。まぎらはしいやうですが、おぼえるやうに。「あびゃ~」はげそからさんの一番最初の作品なのですが、難易度も一番やさしいと思ひます。
 この作品も実に発想は一見へんてこなのですが、へんてこの中になにか理路整然と秩序が通ってゐるものがあります。ラスボスの倒し方なんかはすごくよかった。銃を当てて倒すのに食傷してゐた私は、どの作品にもなかった斬新さを備へてゐると思ひました。

 

 ここで私の観念を語ります。私は難易度が高すぎるアイワナは好きではありません。ゲームは楽しむもの・おもしろがるものがいいと思ふので、ただ単にいらだたせるやうな難しすぎる作品はむしろきらひな方です。だからI Wanna Kill The Kamilia 2やI Wanna Kill The Kamilia 3などにはあまり感心しませんし、高難易度作品だけがアイワナだと思ってほしくないと以前に考へましたが、Kamiliaは有名な方なので、アイワナはGuy、Boshy、るきみん。、Kamiliaしか知らない人は多いだらうと思ひます。

 ちなみに私が初めて触れたアイワナは、意外にもアクションエディター4でつくられた、デリフルにも載ってゐない全然知られてゐない超マイナーな名作です。

I_WANNA_BE_THE_ACTION_EDITOR

制作者:アルトル・ライド
http://hiyokko.sakura.ne.jp/fupbbs/bbs.cgi?mes=v_res&page=1&filenum=157&trview=284
 アイワナはGameMakerといふソフトで制作するものなので、アクションエディター4を初めて聞いた人はたくさんゐるのではないでせうか。だから操作感も異るし、しかも主人公がKIDくんではなく、アクエディの主人公のヤシーユくんです(誰)。出てくるキャラもみなアクエディから登場してゐます。
 実は私はアクションエディター4を使ってよくゲームを制作してゐました。無料ソフトなのでできることの範囲には限界があるのですが、発想を変へると、できないやうに思はれた事がいろいろできるのがおもしろかった。この作品はそのできないやうに思はれた事をアクエディでいろいろやってのけました。別ソフトでいちからアイワナの環境に似せるのも大変だったでせうが、私のゲーム制作における観念をまるで変へたと思ひます。と書いても、アクエディに触れない人にはどうでもいい事でせうが。
 ステージが多い、意外とむづかしい長篇です。埋れた作品ですが、いつの日か動画サイトにプレイ動画があがってるのを見てみたいものです。この影響で私もいくつかアクエディでアイワナをつくりました。(GameMakerでもつくれるのですが、別のソフトでこんなこともできるんだぞと思はせたかったのです。)

結局のところラヴコメがわからない

 私は漫畫をあまり読まない。読むとしてもストーリーがおもしろいものを読みたい。絵柄は無論重要な要素だが、それより重要なのはストーリーだと思ってゐて、私のなかでこの評價が覆ったことはほとんどない。
 ところでラヴコメは私にはわからない。恋愛自体に興味がないこともあり、小谷野敦の『もてない男――恋愛論を超えて』ちくま新書を読んでもなんだか書いてあることがくだらないことのやうにしか思へなかった。(しかし小谷野の『日本恋愛思想史』中公新書は学術的でおもしろかった。)漫畫で擬似的に恋愛を体験するとしても、ああいふ恋愛はファンタジーなので、感情移入以前にあり得ないだらうと莫迦莫迦しく感じてしまふ。第一、なぜか美男美女しか表に出てこない点がファンタジーである。私からすれば髪型を除いてどれも似た顔立ちで、誰かがTwitterに書いてゐたが能面みたいなもぢゃないか。性格で区別を付けるしかないのだが、いかんせん共感しづらい。
 赤坂アカの「かぐや様は告らせたい集英社はおもしろかったが、恋愛が心理的駆引きになってゐるからこそさう感じた。噂ではふたりが付き合ひだしてから話がつまらなくなったといふ事を耳にしたが、私はそこまで読んでゐないからわからない。五十嵐正邦の「川柳少女講談社は読んでゐたが、なんだかギャグがすべってゐるやうでおもしろくないので途中で読むのをやめてしまった。
 結局のところ私は異性を好きになった試しがないからわからないのである。学校で美人の子にときめいたり、コーヒーのCMに出たAKB48のアイドルにどきっとしたりした事はあるが、本当に好きなのかと自問すると美貌といふ以上の感情はわかず、時が経つと自然に忘れてしまった。それに恋愛結婚はあまりいいものではないといふ観念を私は所有してゐて、恋愛は時たま会ふからいいのであって、ずっと一緒にゐると飽きるといふ意見にはその通りなんだらうなと思ふ。かういふことを言ふと怒るかも知れないが、ラヴコメが好きな人は自分を昂奮させるために読んでゐるとしか思へなかった。

ドラマMR.BRAINを見る

 子供の頃は早い就寝習慣といふ方針のために夜中のTVは見ず、いまでもそれは続けてゐる。通学してゐた頃は帰宅するとよくTVドラマを見てゐた。昼すぎ四時頃に戻ると他局がワイドショーを放送するなかで、テレビ朝日の相棒やNHKの子供向けの番組、もっと早めに帰宅すれば科捜研の女伊東四朗のおかしな刑事、テレビ東京の午後ロードなどが見られた。
 私は東京へ転居するまへ茨城にゐて、当時TBSドラマのMR.BRAINを見てゐた。木村拓哉主演で、綾瀬はるか水嶋ヒロが出てゐた。人気が出て山崎製パンとコラボし、クイズが書いてあるシールを包装に貼った「MR.BRAIN 脳トレパン」を発売してゐて、シールをめくると下に答が書いてあった。しかし上京した後、給食の時間にMR.BRAINパンあったよねと同級生に話しても首をかしげるばかりなので、東京では売ってないのかなと思ったりした。
 これを思ひ出して、私は二度目のワクチンを打った即日、腕が重く感じられ、次の日には一日ぢゅう熱、なんだか半規管の調子がわるく、立つのがおぼつかず、外出する用事はなかったのでMR.BRAINでも見返さうと布団にもぐった。
 しかし通観して思ったのは、このドラマは通俗すぎてあまり見てられないといふ事である。何でこんなものがおもしろかったのだらうといふぐらゐ、殺人の動機もくだらないし、快楽殺人者も多重人格者も出てくるし、挿話として語られる脳科学もでたらめだった。ダンガンロンパ1を遊んだ時も思ったが、かういふ本格ミステリ(?)のくだらなさといふのはなんなのであらうか。東野圭吾名探偵の掟はさういふ意味ですこしおもしろかったが。

アニメAnotherを見る

 以前Anotherをいとこに見せられて血が恐しかったので逃げ出したと書いた。

winesburg.hatenablog.com

 それ以来このアニメは一度も見てこなかったのだが、先日ニコ生で一挙放送してゐたので予約して見てみた。あれからずいぶん経ってグロテスクな表現がだいぶ平気になったといふ変化もある。
 まあファイナル・デスティネーションみたいなものだと思った。この映画はむかし房総半島で友人の父親と摂った、静かな昼食の合間に見た事があった。かれの私宅はスカパーと契約してゐて、シリーズを通して流れてゐたのをTVで見た。飛行機事故から逃れた者らが見えない死の運命に襲はれるといふ話だが、まあ落ちてきたガラスの板に圧死して、明らかに飛散した鮮血がCGだとわかるB級ホラー加減だった。
 Anotherは一応ミステリ要素らしきものはあるもののミステリは薄く、たんに生徒らが学校生活を送る過程で人が次つぎに死ぬ。傘の石突きに刺さったりエレヴェータが落下したり庖丁で自殺したりクルーザーに巻き込まれたり、グロテスクな描写が続き、人が死ぬ法則を推測したり説明したりする。私はグロテスクな描写で昂奮するたちではないので、冷ややかな目で見た。話の途中で電話がかかってきて重要な話を聞きのがしたり、主人公の勘が恐しくにぶかったりするのはもはやある種の常套といふ気がするが、作者に都合がよすぎるのは納得できない。ヒロインも綾波レイのやうに陰気で、終盤で唐突に、ミステリのためだけに百合にされてしまった感じが否めない。
 だから、私はこのアニメが本当におもしろいのかと問ひたいぐらゐなのである。
 伏線はいくつか張ってあるが、全体としては長すぎると思ふ。短くまとめた方が一層いいだらうと私は感じた。筒井康隆は2010年10月12日の偽文士日碌にかう書いてゐる。

shokenro.jp

山田風太郎文学賞の候補作品はいずれも長大で読むのに難渋。貴志祐介悪の教典」などは四百頁を越す大冊が上下二巻であり、綾辻行人「Another」も七百頁に近い大作なのである。

 第一回山田風太郎賞綾辻ではなく貴志に決ったのは妥当な判断である。なほこの時森見登美彦の『ペンギン・ハイウェイ』も候補になったが、これが日本SF大賞を受賞したのはその年のSFがそんなに不作だったのかと思ふ程不可思議なことで、山田風太郎賞を受賞させなかったのは慧眼といふべきである。

booklog.jp

シン・ゴジラの感想が聞きたいと言はれたので

★★★☆☆3/5

 たしか押井守シン・ゴジラに対して、庵野がなにを伝へたいのかがわからない、伝へたい事がないといふやうな事を書いてゐた記憶があるので、図書館へ行って『やっぱり友だちはいらない。』徳間書店を見てみたら、インタヴューの冒頭で、走れメロスは友情の話ではないが太宰治はさう見せかけた手腕家なんだよだの、時代的な背景があってああいふ小説を書いたんぢゃないのだのみたいな事を言ってゐて、ああこの映画監督は、太宰が1937年の小栗孝則訳『新編シラー詩抄』にある、シラーの叙事詩「人質」をほぼそのまま散文にしたものがメロス(紀要論文 角田旅人「〈走れメロス〉材源考」http://id.nii.ac.jp/1731/00001628/だといふ事を知らないのだなと、創作者にありがちな無知にげんなりし、さういへばあの疑はしい白川静の字源説を採用する文化人のひとりだったなと思ひめぐらした(『白川静読本』平凡社。漢字学界ではもはや蓋然性の低い白川字源説は相当知識人のあひだで蔓延してをり、松岡正剛内田樹立花隆武田鉄矢、このあひだも『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション』(文春文庫)を読んだら冒頭で宮部が白川字源を引いてゐて落胆したし、TVを見たら開成小学校で小学一年生に白川字源説を教へてゐる様子が流れてきて、いま調べたら福井県教育委員会による白川字源説の小学校学習漢字解説本なんてのもある。それはともかく、なにを伝へたいのかわからないといふ事は結局押井は言ってをらず、その代り、庵野ゴジラに興味ないだろ、ずっとウルトラマンに興味があるんだよと言ってゐて、映画を見た後、たしかにさうかもなと思った。

シン・ゴジラ」については、やたらいろいろな人が語っている。私のように、怪獣映画は全部観てきたというような人間からすると「ニワカがあれこれ言いやがって」というのが本音なのだが、空気を読んでみなそういうことは言わずにいる。

「シン・ゴジラ」(庵野秀明)2017年8月 - jun-jun1965の日記

 小谷野敦のブログからの引用だが、その通りである。私もまたゴジラを初めて見たひとりなので、あれこれ言っても説得力に欠けるし、どうやらゴジラファンはこの作品に違和感を覚えるやうなのだがその理由もわからないニハカである。まあシン・ゴジラの感想が聞きたいと言はれたので仕方なく書く。
 普通のパニック映画だと思った。後半の作戦は見てゐて昂奮したが、退屈な政治描写の部分はあるし、もう一度見る気にはならない。通俗パニック映画にありがちな安っぽい家族愛や低俗さがなかっただけましだと思った。
 いまは直ったと思ふが、元もと私には子供の頃に、ラピュタのビームで海が爆発するシーンとかドラえもんの南海大冒険でリヴァイアサンが出てくるシーンとか、さういふ絶望的な場面で熱に浮かされて昂奮するといふ癖があった。昂奮によるおもしろさの錯覚といふことを私は考へてゐて、おもしろく感じたものが後あと冷静になってみると別におもしろくなかったりする事がある。振り返ってみるとたいていはその時、熱に浮かされて昂奮してゐて、分別がつかなくなってゐたことが多い。リョナやエロなども、どちらも冷静になってみると私にはおもしろくないが、昂奮するためにあるのだらうと思ふ。私は何事も理性的に判断されるべきだと考へてゐるので、熱に浮かされながらの評価はしたくない。
 さて、生物学的な見方をすればいくらでもゴジラのをかしい部分をあげることはできるのだが、架空の存在に真面目になっても豆腐にかすがい、空想科学読本みたいに論じること自体が冗談にしかならないので、それ以外のリアリティについて書く。
 政治の描写は通俗的で、日本は米国の属国だととんちんかんな事を言ったりして反米的であり、実際は憲法九条があるから日本は米国に守られるしかないので、そこまで政治的なリアリティは感じなかった。原爆を落したくないと言ふ場面もあったが、実際にあんな状況になったら米国だの原爆だの四の五の言ってられないだらう。ここは気になった。
 まあネトフリのDon't Look Upといふ通俗バカSF2時間映画よりはうまいと思った。

通俗バカSF映画Don't Look Up

 配属が決った後の昼さがり、文芸部を訪ねて、奥に配置されたソファに寝っ転がる四年生の姿を目にした。薄汚れて清潔さの感じられない布地にだらしなく横たはって足を投げ出し、真面目に研究室に属してるとは思はれない気だるげな顔と二言三言交はして、乾燥して文字が消えないホワイトボードに残った、部室のルーターのSSLDとパスワードを、二年生が秋葉原で勝手に買ってきた新しいルーターの羅列に書き換へた。椅子に坐ると相手が尋ねてきた。SFは好きか。まづまづだが電気羊は読んだとこたへるといいねと笑みを浮べて、攻殼機動隊の話を始めた。
 しかし様子がをかしい。どうやら攻殼機動隊に心酔してゐるらしく、私は最近友人にも押井守を見ろと言はれた由を話したが釈然としない顔になる。押井守なんかよりよほど攻殼機動隊自体に関心が強いらしい。Netflixの3Dアニメの攻殼機動隊がかなりよかったらしく、絶賛して、ポストヒューマン、ポストって次のって意味だから次の人間ってこと、しかもポストヒューマンは個人ぢゃない、集合意識なんだと割合どうでもいい事を聞いた。さらに狂気じみて、将来世界は人間の脳と仮想空間とをつなぐ電脳社会になる、脳を仮想空間につないだらみんな好きな事ができて戦争が無くなる平和になると荒唐無稽な夢物語を真剣に信じてゐる。私に言はせればサイバー戦争に代替されるだけだらうし、小谷野敦が書いてる事だが、世界がひとつの国になっても戦争はなくならず内戦にかはるだけだ。思はずおいおいと、インチキドグマの新興宗教と共通するものを感じて、なかば試すやうに「電脳世界のメリットってなんですか」と聞いたらこちらを失望したやうな蔑むやうな顔になって「メリットとかないんだよ。自然にさういふ社会になるんだ」と答へた。阿呆ではないかと思った。すっとんきょうにも程がある。富永健一は『近代化の理論』で、「ポストモダン」は近代が終ってゐないのに近代の次の時代に移行したと主張してゐると指摘した。しかもポストモダンの定義ははなはだ曖昧なもので、そのやうな社会は現実に存在しない。同様に、この人が将来的に実現を予感してゐるといふポストヒューマンもまた、人類が終ってゐないのに次の新しい人類を空想してゐるいい加減で曖昧な概念なのだと思った。さういへば最初にもこの人は愚民化だのナチスだの言ひだしてゐたのを思ひ出し、愚民を教育しなければならないと嘆いてゐるふうだった。しまひには全米ライフル協会会長の言動をも持ち出してきて、ボウリング・フォー・コロンバインだなとぴんときたので、相手の口を黙らせるために「マイケル・ムーアですね、華氏911は見ましたよ」と言ったらうなづいたが、すでにチャールトン・ヘストンは没して会長は交代してゐるのだから、さういふ昔の言葉を掘り起こしても意味はない。私はこれが学生に典型的な左翼なのだなと思ってげんなりした。そしてずらかればよかったとちょっと後悔した。

 すると四年生はムーアに反応したのか、どうやら関連のあるらしいNetflixの映画を「見ろ」と命令形で言ってきたのである。パワハラだと思ったが、部室のPCからネトフリにログインして「ドント・ルック・アップ」と映った画面を向けた。あらかじめあらすぢを聞かされた。天文学者が隕石を見つけても全然本気にされず地球が滅亡する話だといふ。なにがおもろいねんと思った。
 そして実際つまらなかった。ガチつまである。レオナルド・ディカプリオアリアナ・グランデが出演してゐるが、バカSF通俗2時間映画である。
 まづ冒頭で学生が地球に衝突する彗星を発見する。計算の結果、衝突はほぼ一週間後だと判明し教授の天文学者NASAの知り合いに連絡する。
 この設定がまづありえないと私などは感じる。この映画がある種のリアリティを追求してゐる事と相反してゐるし、映画の後半の、スティーヴ・ジョブズみたいな天才がつくった巨大ドローンが彗星を破壊する場面を見れば、さういふ高い技術力を有しながら一週間前まで彗星の衝突がわからなかったなどといふのは、ほとんどありえないか、莫迦だと思ふ。私は三浦しをん『むかしのはなし』の井上ひさしによる直木賞選評を思ひ出した。

また、「隕石、地球に衝突」という全地球的大事件が、三ヵ月前までわからないなど、とても信じられない。(『井上ひさし全選評』白水社

 これに対して大森望は『文学賞メッタ斬り!リターンズ』PARCO出版における豊﨑由美との対談でかう言ってゐた。

大森 信じられない気持ちはわかりますが、科学の力を買いかぶりすぎです。なにしろ宇宙は広い。「ディープ・インパクト」だと一年前に発見されてますが、あれはハリウッド映画ですからね。三ヶ月前まで見つからないことは充分にありうる。「アルマゲドン」だと十八日前。新井素子の『ひとめあなたに…』なんか一週間前ですよ。ま、伊坂幸太郎『終末のフールー』では八年前から予告されてますけどね。
(略)
 とりあえず、SFが直木賞候補になっても(註。銓衡委員の)誰も喜ばないことがよくわかりました。

 しかし、《科学の力を買いかぶりすぎ》と言って出てくる例が現実の例ではなく、軒並みフィクションなので、SFでSFの擁護をしても《三ヶ月前まで見つからないことは充分にありうる。》といふ理由にはならない。フィクションにはかういふ例があるのだから認めろと言ってゐるやうなものだ。大森はかなりのSFファンだからかういふ奇妙な擁護をしたのではないかといふ気がする。小説にはなにを書いても構はないとしても、それが受け容れられるかどうかはまた別で、三ヶ月前はまだぎりぎり許容できるとしても、さすがに一週間前の判明など私にはとうてい説得力に欠ける話である。
 違和感はここだけではない。天文学者らは衝突を伝へに米国大統領に会ひに行く。この大統領は赤い帽子をかぶって集会をしたりと明らかにトランプ大統領を皮肉的に模してゐて、しかしあまり露骨だとまづいと考へたのか金髪の女になってゐる。だが、いままで米国で女性大統領が当選したことはないし、当時共和党はトランプを、民主党はヒラリーを擁立したから、なんとなく映画の女性大統領は保守的に見えづらい気がする。
 また、米国にはTV局が無数にあるにもかかはらず、この天文学者と学生が彗星衝突の情報を提供するのがゴシップニュース番組みたいな所なのも変である。しかも一度目は全然信じてもらへなかったのだが、衝突が本当だと知れ渡った後で、なぜか再度同じ番組に出演するのも奇妙である。
 ほかにも不快なことにこの映画はつまらない下ネタにばかり達者で、かの四年生などは私の後ろで映画を見ながら低俗な笑ひを漏らしてゐたが、なにがおもしろいのか。天文学者はすぐ女と寝たり、終盤にはパニック映画にありがちな安っぽい家族愛が描かれてゐたりして、2時間椅子に張りつけられたのが無駄だと断言できるが、見終った後でこの四年生はこの映画が社会問題を提起してゐると評して、現実に則したリアリティを感じるだらうと聞いてきた。
 どこがだよ。ただの安っぽい演出の下手なブラックコメディ映画で、かういふ映画を見ておもしろがるのは反トランプや反米左翼だけだといふ気がする。

フィクションのリアリティ

note.com

 私は上の文章に同意する。一方で反対意見もある。

yarukimedesu.hatenablog.com

宇宙人が出てくるマンガにリアリティって言われたって…(困惑)。

 フィクションにもある程度リアリティは必要である。たとへば異星人など現実にとって特異なものが出てきたら、リアリティがないのかといふと違ふ。異星人は読者が許容する設定であり、リアリティは土台であって、土台の上でその設定を生かすのである。これをタコピーにあてはめると、土台は虐待やいぢめであって、設定はタコピーである。

思うに、マンガのリアリティってのは、「こういうことも現実にあるかもしれない」と思わせることで、実際に起きた事例に合致するか?ということではないのじゃないか?と思います。

極端に思えても、「こういうことが実際にもあるかもしれない」と思えれば、その作品はリアリティがあると、私は考えます。

 私がタコピーの原罪のストーリーのリアリティに対して薄く感じる理由は、上の記事で指摘してゐるやうにいろいろつじつまの合はない点があるからで、現実にあると思はすと言っても私からすればリアルに描いてゐるやうで全然うそくさいので、こういうことが実際にもあるかもしれないとも、この世のどこかで起きているかもしれないとも思へない。土台が許容できないのである。虐待とは無縁な他人が、リアリティがあると勘違ひしてゐるとしか思へない。
 もちろんラヴコメやバトルものなどある程度うそくさくてもいい作品はあるが、虐待といふ深刻なテーマを扱ふ以上、あくまで整合性の不備がないやうに丁寧に描くべきだらう。米澤穂信『満願』や西加奈子サラバ!』に対する直木賞選評などを見ればわかるのだが、東野圭吾宮部みゆきとちがって常に作品の整合性を気にしてゐて、その態度は正しいと私は思ふ。

冒頭の記事のブコメでもありましたが、第1話の一番衝撃的なシーンの、主人公の家の散らかった感じとか、テーブルの上の様子は、めちゃくちゃリアリティがありました。

 それは作画のリアリティであって、ストーリーのリアリティではない。

 ここで私が思ひ出したのは、谷崎賞を受賞した青来有一『爆心』に対する筒井康隆谷崎賞選評である。小谷野敦のブログから引用する。

jun-jun1965.hatenablog.com

 『中央公論』に載っている谷崎賞の選評で、筒井康隆氏が、原爆を描けば新聞などでとりあげられやすいが、賞を与えるべきなのは、文学的新しさを持ったものであり、この作品はそうは思えないし、今までの作品数からいって、果たして谷崎賞にふさわしいのだろうか、と書いている。

 これも同じことで、虐待を書けば不備があっても必ず評価されてしまふといふのは、私からすると嫌な感じだ。作者のタイザン5さんには次回作に期待いたします。