泣いた小説

 けさは三時に起きた。早すぎるのは体によくないと思ったが、横になるとしきりに尿意がもよほされ、用を足しに立って、頭のなかに若干なにかしこりが残ってゐるやうに感じた。就寝前に見たホラーゲーム実況のせいか、先だって悪夢を見てゐたやうな気がする。まるで憶えてゐなかった。昨晩うとうとしながら考へついた、泣く小説といふ題のエッセーを、便所から戻ってきた体で書かうかと考へて躊躇する。まだ睡眠欲がある。体には悪いと再度思ひながら、横になってTVを見た。おもしろい内容だった。つづけて別のを見たがつまらなかった。途中でやめて、起きあがってこれを書いた。
 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』については前にも書いた。文藝部の部長から読んだら泣くよと言はれてすすめられたが、退屈で、どこで泣くんですかと言ってやりたい気がした。村上春樹でおもしろかったのは『羊をめぐる冒険』で、純文学ではないが娯楽冒険小説のやうに読める。しかしみな妙に『世界の終り~』をほめそやす。貴志祐介恒川光太郎も「作家の読書道」で『世界の終り~』を挙げてゐて、鈴木晃仁教授もブログで傑作だと書いてゐた。ここらへんは夏目漱石から三冊えらぶ際に、大江と古井が両者とも『こゝろ』を挙げた(『文学の淵を渡る』)のと似てゐると思ひ、ああいふ駄作がもてはやされるのは理解できず、かれらと私のあひだにはなにか違ひでもあるんだらうとうたぐってゐる。
 実は私は人より涙もろいのではないかと時々疑ってゐる。小学生六年生、中学受験でクラスがすいてゐた時期、担任のN先生に韓国映画を見せられて、教室のなかでひとりだけ涙をぼろぼろとこぼした。男女のカップルがたのしく生活を送るが、事故で男が死んでしまひ、打ちひしがれた彼女の元に幻想的に手紙が届く。題名は全然憶えてゐないが、織田裕二が「一発太郎」として活躍する『卒業旅行 ニホンから来ました』といふマイナーなばかばかしいコメディ映画を持ってきたこともある人なので、これも全然知られてゐない映画かもしれない。
 私は小説よりも映像作品で泣いてしまふことが多く、しかし唯一泣いた小説はある。浅田次郎の短篇「角筈にて」である。中学生の時に読んで涙が出てきた。『鉄道員ぽっぽや』のなかの一篇で、表題作は大したことはないが、「角筈にて」と「ラブレター」は泣いてしまふ。浅田次郎ほどではないが、最近だとディケンズの『荒涼館』第15章「ベル・ヤード」を読んで、父親が死んでみなしごになった子供たちに涙がにじみ出てきた。先ほど第47章でもすこしだけ泣いた。
 ところで「鉄道員ぽっぽや」の映画は見たことはないが、主演が高倉健といふことだけは知ってゐた。高倉健はなぜか中国で大変人気があり、死んだ時もニュースになってゐたが、最近それが「君よ憤怒の河を渉れ」といふ映画がきっかけであったことを知り、おどろいたものである。

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 私はこの小谷野敦のレヴューを見て初めて映画を知り、「シナで八億人が観た」といふ記述がほとんど嘘のやうに思はれて信じられなかったが、調べたところ本当であったし、知人の中国人のZさんに聞いても高校生のころ学校で先生が見せてくれたと言って、ますます真実なのだと実感するよりなかった。とにかく中国では莫迦みたいに有名で、しかも映画の方も莫迦みたいに珍妙な映画らしく、無性に興味を引き立てられた。
 ここまで翌日のうちに書き切って、それから私はつぎのエッセーの内容を企図してゐる。題ももう決めてしまった。つらいことがあって、それを受けて、

 恢復する小説

とするのである。