道すがら

 けさ、早起きをして、布団のなかでスマートフォンをいぢってゐたら電池が切れた。このまま、ぼーっとするわけにもいかないと思って腰を上げ、着がへてから散歩に出かけた。公園のベンチで読まうと辞書をふたつ鞄に入れ、残高を確めるために通帳をたづさへた。
 まだ薄暗かった。すぐ帰宅するつもりで着た薄い上着に冷気がしみた。
 銀行はあいてゐなかった。うっかりしてゐた事に気がついてまっすぐ公園に向った。丘への階段を上るのが億劫になって、入口のそばのベンチに坐って両膝の上の辞書を読み比べる。ラジオ体操が終って、うしろのスロープを降りてきた中腰の高齢者らの談笑が聞える。道路で老人がパン粉をばらまき、鳩が寄った。それを見て、今年大学からの帰宅途中に目撃した、民家の門口にある松の若干傾斜した幹に、一匹の猫が威勢よく駈け上っていったことを思ひ出した。今でも思ひ出せる光景だった。また、同時にかういふことも浮かんできた。
 大学の帰りぎは、歩いてゐると、道をならんで私より先行してゐた二人組の男子学生に、軽トラから降りた男が道路の真ん中で恫喝をし出した。急なことで、「道をふさぐんぢゃねえ」と威圧的に張りあげて、私はこはごはそのわきを通りながら、しばらく無視をした。後ろを振り返ってみてもいまだ足止めをして激憤してゐる男に、内心、――なにくそ! なにくそ! やれるもんならやってみやがれ、この野郎!と反撥してゐたのである。私は不快だった。高架の下を抜けると目の前はモールの裏で、トラックの搬入口の手前の、一般の駐車場への入口に車が入らうとして、警備員が棒を振ってゐた。スーツを着こなしたサラリーマンが前を歩いてゐた。その左隣を眼鏡をかけた婦人が歩いてゐた。すると彼女はサラリーマンの歩行を、腕を摑んで誘導する形でサポートし出したのだった。親子だらうかと思った。注目するとかれは白い杖を持ってゐた。駐車場への入口をふたりで通り過ぎた。かれは右に曲ってモールに入っていき、彼女はまっすぐに立ち去っていった。私はこの時やうやく、あの婦人がただの親切な見知らぬ人だと気がついたのである。この二つの印象深い対照的な出来事を思ひ出してゐると、手の体温が下がってきたのに気づいた。帰路の駅はからのままだった。