むしろエーミール側に立ってゐた

 中学の国語教科書で定番の小説に、ヘッセの少年の日の思ひ出があって、やままゆがを粉々にされたエーミールが、さうか、さうか、つまり君はそんなやつなんだなと言ふ。このせりふが中学生のあひだで飛ぶやうにはやった。どうやら癪に障る厭味ったらしいせりふとして強烈に印象づけられるやうである。
 しかし私はむしろエーミールに共感するのだ。自身の大切なものをめちゃめちゃにされて気を悪くしないほうがどうかしてゐる。
 どうもこの手の厭味が好きな人間といふのはゐて、高校の頃、模擬試験に陶藝家の弟子が復讐のために師匠に歯向って厭味を言ふといふ小説が出題され、午後の美術の授業で、同級生のWからあの小説が読みたい、知ってるかと聞かれたことがあった。知らないと答へたが、ああいふのが好きな人は半沢直樹も好きなのだらうなと思ふ。
 国語教科書からはやった言葉はほかにもあったと思ふが、記憶にない。安岡章太郎のサアカスの馬が授業の題目になった時は、お調子者のKが「まあいいや、どうだって」をはやらせるかなどと言ってゐたが、別にはやらなかった。